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蒲生を守る会活動50年記念シンポジウム「蒲生干潟の現在 2011−2019」
震災後の蒲生干潟の現状を見つめ、あるべき姿を探そう! 参加報告

             山本 廣子

日時:2020年2月9日(日)10:00〜16:00
場所:仙台市市民活動サポートセンター 6Fセミナーホール(仙台市青葉区)
参加:約120名
主催:蒲生を守る会

宮城県仙台市宮城野区の七北田川河口周辺に広がる蒲生干潟。ここで干潟を守る活動を続けてきた「蒲生を守る会」が4月に50周年を迎えます。仙台港埋め立て、東日本大震災、巨大防潮堤工事と、干潟は何度も危機にさらされてきました。この10年を振り返り、干潟の現在と未来を考えるシンポジウムが開かれました。この蒲生を守る会との長いつながりがあり、私も和白干潟の話しをすることができました。当日の朝日新聞朝刊に大きく掲載されて、参加者は定員100名の会場に約120名も参加されて、皆真剣に聞いてありました。北海道や東北の他県の参加者もありました。
◆第1部 震災後の蒲生干潟の現状
1. 地形の変化と復旧工事計画の変遷(蒲生を守る会・中嶋順一)2. 底生動物の生息状況と干潟生態系の現状(みちのくベントス研究所所長 鈴木孝男)3. 鳥類生息状況(蒲生を守る会・上村左知子、佐場野裕)4. 震災後行った観察会と干潟生き物調査(蒲生を守る会・熊谷佳二)
  
   
< シンポの様子1>             <シンポの様子2>           <シンポの様子3>
◆第2部 蒲生干潟をめぐる課題と展望
1. 蒲生干潟を取りまく火力発電所建設問題(仙台港の石炭火力発電所建設問題を考える会代表、MELON理事長・長谷川公一)
2. 蒲生地域住民の抱える諸問題(蒲生のまちづくりを考える会事務局長・千葉永一)
3. 博多湾・和白干潟から、干潟を守る思い(和白干潟を守る会代表・山本廣子)4. 蒲生をめぐる諸問題 (蒲生を守る会・熊谷佳二)

  
     
<シンポの様子4>           <手袋でご挨拶>             <山本の話しの様子1>
◆第3部 パネルディスカッション
 コーディネーター:伊藤絹子(東北大学大学院農学研究科准教授)佐場野裕(蒲生を守る会)
 パネラー:熊谷、鈴木、千葉、笹谷、長谷川、山本

2011年の被災後、蒲生干潟の地形は変化しましたが、数か月後からはだんだん以前のような形に戻りつつあります。植物や底生動物や鳥たちも増えてきました。蒲生を守る会は自然の地形、植物、生き物、鳥などを、観察し調査し続けてきた記録集や写真集も発行されました。
 
   
<山本の話しの様子2>          <パネルディスカッション>
自然は回復してきても、人間の活動は無残にも干潟を痛めてきました。津波で多くの家が流された七北田川周辺地区は、住めない区域に指定されましたが、そこには仙台市が工場を誘致して、近くには3個の火力発電所計画があり、もう稼働しているものもありました。高さ7.2mの巨大堤防が干潟の中を通る計画でしたが、蒲生を守る会などの要望により少し陸側に移動しました。堤防工事や後背地の区画整理事業により、干潟周辺の自然が破壊されて行きます。無念に思いました。

私は第2部で「博多湾・和白干潟から、干潟を守る思い」と題して話しました。和白干潟の生きもの手袋で挨拶。和白干潟保全の歴史、和白干潟の自然紹介。和白干潟を守る会の保全活動の紹介。「心から守りたいと願ったことは、言葉に出して言い、行動すること。そしてあきらめずに続けること。これを観察会や講演で子どもたちや学生に話している。蒲生を守る会の皆さんとも知り合いになれて、本当に良かった。干潟を守る思いをこれからも共有していきたいと願っている。」と話しました。

全部蒲生干潟の話しの中で、私は全国の干潟の代表と思って、蒲生を守る会を励ましたいと思いました。生き物手袋は多くの人の心に残った様で、写真もたくさん撮られました。私の話しで元気をもらったと感想をいただきました。7.2mの巨大堤防には一番心を痛めたと話しました。「声に出して言い、行動を起こし、続けること」は、蒲生を守る会を作った木村フジさんの言葉でもあったそうです。「干潟を守る活動は干潟から私たちが癒されている」と私が言った言葉が心に残ったと言われました。私の話しが力になったことは、とても嬉しかったです。またきりえハガキ13集を蒲生を守る会に寄贈して売っていただきましたが、その中のハマゴウの絵葉書を気に入られた方があり、蒲生干潟に1本だけハマゴウが生えていて、保全しているそうです。
  
    
<蒲生干潟にて>              <日和山>               <蒲生干潟と奥の砂浜>
 翌日(2/10)には、蒲生を守る会の佐場野さんと上村さんのご案内でもう1名北海道の方も参加して4名で、蒲生干潟を一周しました。干潟堤防の陸側には防潮堤建設に反対した蒲生住民の方が慰霊のために建てられた「舟要観音」や皆が集まれる建物「舟要洞場」にも寄りました。堤防内にある日本一低い「日和山」は6mでしたが、被災して3mになってしまいました。
  
   
<鳥を数える上村さん>         < 砂っぽくなった蒲生干潟>           <ハママツナ
蒲生干潟は河口の横にできた潟湖干潟です。和白干潟ではクリークのような感じですが、その奥には砂浜があり、外海が開けています。外海、砂浜、干潟、河口と多様な環境で成り立っています。7.2mの巨大堤防は、幅40mもあり、上部は平で歩くことができました。干潟の水辺にはコガモ、ホオジロガモ、ホシハジロ、キンクロハジロ、オカヨシガモなどのカモ類やアオサギ、干潟ではシロチドリ、ハマシギ、ミユビシギなどを見ました。海岸ではミユビシギの25羽の群れ、海上にはクロガモ、カンムリカイツブリなどを見ました。残念ながらコクガンやマガンなどは見ることができませんでした。早朝にいることが多いそうです。
  
    
<ハマニンニク>              <海岸と外海>             <17 7.2mの防潮堤>
蒲生干潟は砂をかぶってしまい、砂質の干潟に変わってきたそうで、干潟では枯れたハママツナがたくさん見られました。ここのハママツナは紅葉しないそうです。水辺の周りや堤防では枯れた種を付けたカワラヨモギやセイタカアワダチソウの種が多くあり、ベニマシコが見られたそうですが、私は見落としました。
  
    
<背の高いアシ>         <保護されている1本だけのハマゴウ>      <クリークのような水辺_>
私を空港に送った後で、「コハクチョウの群れとハクガン6羽を見た」とメールがありました。またいつか見たいものです。
蒲生干潟を歩き、人間の活動によって劣化していく蒲生干潟を見て、博多湾人工島により劣化していく和白干潟が重なり、どうかがんばって!と祈らずにはいられませんでした。
  
     
<ホオジロガモ>            < 防潮堤の上で>               <記念写真>
仙台では蒲生を守る会の皆さんに大変お世話いただきました。空港からの送り迎えや、干潟の案内、干潟で着る防寒着や長靴を貸していただきました。心より、お礼を申し上げたいと思います。


山・川・海の流域会議「新春座談会」報告
          今村 恵美子

日時:2020年1月11日(土)10時〜12時
場所:なみきスクエア視聴覚室
参加:16名 守る会以外の流域会議メンバー:6名、和白干潟を守る会:8名、香住ケ丘住民:1名、新聞情報で参加:1名

新春座談会「唐原川を語ろう」(唐原川の自然の復活を目指して)
コーディネーター:藤井暁彦氏(九州環境管理協会) 山口県出身。和白干潟を守る会でガイド講習会講師、干潟まつりの生きもの観察講師など、海の生きものの専門家
概要:立花山から唐原川の流域、そして和白干潟を考えるというテーマで、藤井氏が航空写真による大正時代から今日に至るまでの唐原川流域の地形の変遷を紹介し、それぞれの時代の地域の特徴を解説され、意見交換した。唐原川は渓谷並みの急こう配で博多湾に到達し川幅が狭く、子どもたちが川に入れるように土手のある川にするのは難しい。周辺の開発を見ると和白干潟が残されているのはかなり奇跡的といってもよい。生き物調査は、海からさかのぼれる魚類を調査することなど活動のヒントをいただいた。参加者からは話を聞いた視点から流域を歩いてみたいという要望が出された。

 
    <座談会のようす>               <座談会のようす>
◆地形:立花山は標高367m、唐原川の源流は100mくらいのところから流れ、全長約6qである。短い距離で100m下ると0になるということは渓谷並みの急勾配で、あっという間に海に着く。そのため、川から水を引けないため、農業用ため池が多い。写真から見ると海に近い丘陵地ではミカン栽培が適しており、ミカン園が多かった。
◆航空写真、地図による地域の状況
・大正15年の地図:和白干潟付近の地形は現在と変わっていないが、JR鹿児島線、香椎線、西鉄の3本の軌道はすでに運航され鉄道網が敷かれていた。大正13年には西鉄唐原駅設置。
・1947年(S22年)香住ケ丘は緑の山、丘、高美台も緑の丘だった。
・1960年(S35年)香住ケ丘の緑がなくなった。
・1969年、1976年国道3号線がくっきりし、和白ゴルフ場ができた。
・1990年(H2年)長谷ダムはまだできていない。
・2007年(H19年)長谷ダムが完成している。
これらの歴史を踏まえ、立花山、唐原川、和白干潟の山・川・海の魅力とはなにかを考え、意見を出し
合い、それぞれの魅力、つながりの魅力、魅力の発信、向上のためにできること、やりたいことについて話し合うことを提案された。
◆意見交換(F:藤井氏)
・水の利用について、今のJR付近で水をためてポンプを操作し、稲作を行っていた。
・S28年頃、香椎線より下は海を埋め立てている。
・唐原川には蛍がいた。ウナギも取れていた。
・唐原川には堰がたくさんある。これを撤去しなければ自然回復は難しいのではないか?
F:堰になっているのは「落差工」であり、急すぎる川の流れをゆるやかにし、土石流を防ぐ防災のため設けられている。
・24年前、「香住ケ丘の沿革」という郷土誌を作成しているが、それには記載されておらず、改訂版を作りたい。
・S28年唐原川は洪水になった。コンクリートになったのはその後である。
F:川底に石が当たって掘り下げられ、側面の土手などが崩壊するのを防ぐために、堰の先には川底にコンクリートブロックが敷かれている。一番危ないと思われるのは九産大付近。
・3号線下も詰まると怖い。
F:唐原川の魅力として生き物例えばため池のトンボとか、ため池と唐原川のセットで考えることも。
・唐原川にホタルを飛ばそうと考えたこともあるが、他から持ってきても難しいことが分かった。
・九産大に人工の川を作って蛍をと媒体という計画もあるが。
・九産大内田ゼミ(動植物研究会)でホタルを見たという報告がある。
F:何ホタルかわからないが、ヘイケボタルはため池で、ゲンジボタルはなかなかハードルが高い。
 海で生まれた魚が、どこまで川を上れるか調査にチャレンジしてはどうか?ウナギ、カニ、エビ、ハゼは可能性が高い。
・松井先生(元九大・香住丘在住)の話で、3号線下に3月ごろシロウオが遡上するというので、小石を積んだことがある。再び考える。
F:山口県の公共事業で「水辺の小技」というのがある。石積みや、水たまり、コンクリートに隙間を作って生き物を生かす仕組みである。唐原川の山手の方にどれくらい魚はいるか?
・この会で、夏休みに小学生対象の唐原川自然観察会に協力したが、結構魚はいる。しゅんせつ工事に伴い、自然環境保全地区というのを設定し、貴重な植物を移設し、守ったこともある。その区間は自然が豊かになったことで、住民から苦情が出て工事が終わり、解消された。観察会は学生の3年間限定のプロジェクトだったので、継続していない。
・四季の移り変わりを感じられる川にしたい。
・川底まで下りられるようにしたい。
・2か所階段で下りられるようになってはいるが、常時鍵がかかっている。安全面から難しい。
・川の両側は道路なのでこれ以上幅を広がることは難しい。
・唐原川は2級河川か?→検索結果、2級河川
F:2級河川なら河川計画、治水、利水の事業ができる。下原〜長谷ダム方面に生物がいるので調査して目標を持つことはどうか?
・定期的に唐原川の水質調査は守る会で行っている。生物調査や水質調査は定点観測でする必要があると思う。
F:唐原川の環境基準点、観測結果などのデータは蓄積されている。
・立花山、三日月山では飲む水が出ていない。住宅地がこれだけ開発されたら難しい。
・落差が急だということは、初めて知った。
・川の良いところを見つける、という趣旨でみんなで流域を歩いてみるという企画が欲しい。
・何回か企画しているが、観察会に参加者が少ない。
・源流付近の池は素晴らしく、癒されている。
以上の意見交換を踏まえて、今後の活動に生かしたいと挨拶があった。

※郷土の歴史を学びあう会からのお知らせ
「山田堰の歴史を学ぶ」2/13(木)13:30〜15:00なみきスクエア視聴覚室
事前申し込みは松田さんまで。(定員が厳しいので流域会議会員限定)